私ベムが小学校のころ、地元の市民会館に日本プロレスの興行が来て観戦にいったことがある。会場は通常の舞台と客席という市民会館で、リングは舞台にセッティングされていて、その周りにパイプ椅子のリングサイド席、あとは常設の客席というまぬけな会場だった。
たしかミル・マスカラスと大木金太郎がメインイベントで、マスカラスがフライング・クロスチョップで勝ったと思う。ただそれは子供の目にもプロレスが演技であることがよく分かる代物だった。テレビで観るプロレスとの違いに、半分がっかりした記憶がある。ライブとテレビの違いもあるし、テレビ中継されない試合はこんなもんかなと思った。
その後、中学生になったころ、父親が当時まだ家庭用にはほとんど普及していなかったオープンリールのビデオテープレコーダーを買ってきてテレビ番組を録画するようになった。それで主に私が撮っていたのがプロレス中継で、そのなかで一番気に入っていたのが、「国際プロレス」というマイナー団体が起死回生で招聘した「カール・ゴッチ、ビル・ロビンソン、アンドレ・ザ・ジャイアント」の三つ巴戦の放送だった。当時まだアンドレ・ザ・ジャイアントはモンスター・ロシモフというリングネームで、(フランス人なのになんでロシア人名にしてたんだろう?)2m23cm、230kgというふれこみは偽りではなく、まさに化けモノだった。
で、このシリーズで最高の一戦が、カール・ゴッチ対モンスター・ロシモフ。何とカール・ゴッチは230kgをジャーマン・スープレックス・ホールドで完璧にフォールした。しかし直前にレフリーが場外にすっ飛ばされていて、5秒以上フォールしていたのにカウントされないという、これぞプロレスというシナリオで、結局どさくさでカール・ゴッチは巨体にフォールされて負けてしまった。
この試合をたまたまビデオで録画していたのだが、クラスメートと何度も観ては楽しんだ。何度も観るから画質がどんどん落ちていったのを覚えている。
カール・ゴッチもアンドレ・ザ・ジャイアントも既に亡くなってしまったが、両方ともプロレス史に残るビッグネームだ。「国際プロレス」はテレビ放送が常時あった団体ではない。この外人招聘シリーズしか記憶にないが、プロレス中継のなかで最も印象深かった放送だった。
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