「清音の美学」


 私ベムは静岡の出身だが、地元なので「富士川」のことを「フジカワ」と正しく発音するが、知らない人の多くが、「フジガワ」と「カワ」を濁音で読む。日本語にはできるだけ濁音を避けるようにする感覚があって、特に濁音が続くことを嫌う。これはひとつの美学であって、きれいな日本語にならないからだ。「フジザン」と言わないように「フジガワ」と言わず「フジカワ」と言う。
 「フジガワ」と読む人が多いのは、本来の日本語的読み感覚がなくなってきつつあることを意味する。音声学的に云って、言葉にはそれぞれに好みの音感が存在する。日本語は清音を大事にする文化である。


 ところで、私の廻りでもテレビでも、自分の配偶者のことを「私の奥さん」とかいう人がいるが、「奥」という言葉はそもそも敬語(尊敬語)であって、自分のカミさんに対して言う言葉ではない。それから「お疲れ様」というのは本来、目下の人間に言う言葉で、上司に言ってはいけない。ちょっと前の日経に「ご苦労様」は上司には言ってははいけない。その場合は「お疲れ様」と書いてあったが、本来「お疲れ様」も同じで上司に言ってはいけない。そんなことをいうと何といっていいか言葉が見つからなくなるが、日本語には上司に会ったときのこれといった会釈の言葉はない。

 最近、出版物やTV番組でも、日本語の誤用や本来の意味を取り上げることが多くなった。金田一春彦先生のご子息がTVで出てきていろいろ解説している番組があった。でも言葉に対する関心が高まるのはいいことだ。
 濁音や敬語づかいなどに気を使ってみると、背景には日本語のもつ美意識と感性が垣間見える。