93年にインターネットを始めたから、20年経った。この20年間の目まぐるしい進化と変容にはあらためて驚く。
僕はパソコン通信じゃなくて、インターネットから始めた。しかもDOS/V機で・・・。ハードディスクがたった40MBというスペックで、ウィンドウズ3.1が動くと言われて買ったが、まあお世辞にも動くという感じじゃなかった。カメレオンというインターネットのスタートアップソフトでネット生活と洒落込んだものの、ブラウザもまだモザイクがあるかないかで(だいいち日本語のホームページがない)、ゴーファーとかニューズグループ、あとメールなんだが、メールする相手がまずいない。ニューズグループ内に、MIDIファイルがあって海賊版のレッド・ツェッペリンやデビッド・ボウイの何ビットか忘れたけどチープな音源があって、それを聴いてみるくらいが、最初のインターネット体験だった。
JOIが社長をしてたPSIネットというプロバイダーに入ったけど、そのころの日本のネットユーザーはいったい何人いたんだろう。秋葉原のラオックスのコンピュータ館の4Fがたしか全フロア、パソコンソフト売り場だったが、ほとんどが98のソフトで、マックが棚4~5くらい、DOS/Vにいたっては、(IBM/AT 互換機用と言っていた)棚の半分くらいという悲惨なDOS/V&インターネットユーザーは、しないでもいい苦労をたくさんしてきた。先取りしたのはいいが、誰も教えてくれないから、障害だらけだった。
96年にインフォシークを立ち上げて、広告セールスを始めた時も、最初は毎日30万PVになるとサーバーは落ちるは、それが何故かわからないは、サーバーが落ちると放送事故と同じだから3倍返ししろという代理店のおやじはいるは・・・。まだ「ピ~ひょろひょろ」のダイヤルアップ時代、夜11時がゴールデンタイムのインターネットは、まだ技術系の人のものであって、情報システム部門の人がターゲットの広告が多くを占めていた。
なので、日本で最初のアドネットワーク=DACネットワークをつくって、OS別配信でUNIX配信をすると、サンマイクロシステムさんの情報システム部署向けのセミナー広告はクリック率が28%もあった。
インターネット広告の価値を一挙に上げてくれたのは、やはり孫さんだ。街頭でモデムを配るという凄まじいプロモーション活動は、ADSLを普及させ、常時接続、定額、高速通信を実現させ、ネットユーザーの拡大と共にひとり当たりの接続時間も3倍以上にもなった。おかげで、ネット広告市場は一気に拡大し、DACも恩恵を受けた。
93年にインターネットを始め、その翌年に世界で最初にバナー広告が始まったの受けて、その2年後にネット広告を売る会社を立ち上げ、そのまた2年後に日本で最初のアドネットワークをつくり、さらにその3年後に会社を上場させた。そのスピード感は決して遅いものではなかったと思う。それもインターネットがすごいスピードで進化するからこそで、それに乗っかって自分も常に変化していけた。いまだに退屈することはない。
82年に新卒で入ってから既に広告業界に31年いる訳だが、その2/3はネットユーザーだったことになる。もちろん長けりゃいいってもんじゃないけど、この20年にネットと広告にまつわるエポックメイキングな意味のある出来事を、歴史的評価を含めて書き留めておいた方がいいかもしれない。
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