データはマーケティングの「コメ」。そのままでは食えないから、ご飯炊いて料理にしないといけないが、料理する人の価値を大事にする文化が大事。


 データというのは、いわば米の状態のものだ。そのままでは食べられない。米を炊いて、おにぎりにしたり、はたまた高級イタリアン店のリゾットにしてこそ価値がでる。そのためにも価値をつくる人を育てなければならない。ただ、そういう価値をつくる人や仕事への敬意をもつ企業文化が大事になる。

 最近ベムのところには、「データ分析に、分析官を何十人も配置したが、なかなかシナリオ設計ができるところまで分析の価値をあげられない。そういうスキル開発にご協力いただけませんか?」というオファーがよく来る。

 そりゃ、そうだろう。シナリオ設計とは、何らかの施策に結びつけるためのものであって、施策のプランニングや実行の経験のない人にはイメージがつかないのは当然だ。
「データサイエンティスト」というスキルセットについては、まだまだこれから定義されていくだろうが、マーケティングのシナリオ設計という領域は、そうそう簡単に出来るものではない。長い間広告マーケティングの世界に身を置いている側から言うと、そう簡単にデータサイエンティストにシナリオ設計が出来てもらっても困るという思いもない訳ではないが、そういうスキルを開発しないといけないのが私の立場だ。

 ビッグデータなるものは、データの大海原なので、どうやって文脈を発見するかということでは、基本仮説立てをして、捨てていいデータを決めることになる。データは多すぎるので、「データリダクション」をしないと道筋が見えてこないのだ。
 この際、捨てるデータを決めるための仮説設定には、意外とアナログな手法も有効と言える。というかむしろビッグデータと向き合うには、デプスインタビューのような生の消費者と向き合って、インサイトを探るスキルが重要なのだと言える。
 そうしたスキルは伝統的な総合代理店のマーケやストプラと言われる人材が長けているはずなのだが、ちょっと違うのは「ひとつ」に修練させる従来のやり方ではないところだ。

 マスを前提にした表現開発は、いったん発想を出来るだけ拡張する(コピーを100案出してみろみたいな100本、1000本ノックがあって)が、そのあとは、ひとつの表現コンセプトに修練させるのが従来のやり方だ。これはマスクリエイティブが出来るだけ多くの消費者が少しでも反応するようにつくるという「最大公約数型」になるからだ。しかし、今やるべきコミュニケーション開発とは、データからいくつかのターゲットと対のいくつかの文脈を見つける作業となるだろう。ひとつの表現で「出来るだけ多くの人が少しでも反応する」のではなくて、特定の人が「強く反応する」文脈をいくつも抽出するという作業である。

 前述のデータ分析からシナリオ設計するという作業は、従来の広告代理店のストプラ作業とは似て非なるわけだ。
 
 いずれにしても我々が必要なスキルは、今誰も持っていないものと言える。これから開発しなければならないスキルだ。
この時、センスのある分析をする人というのは大事に扱わないといけない。いい仕事とそのスキルをリスペクトしないと目指すべきスキルは育成されないだろう。
 
 コメ農家は、付加価値を最大限に引き上げる料理人の知恵と技術に敬意をもって接して協業しなければならない。