過度なターゲットセグメント癖の罪


 確か行動ターゲティング広告を日本で初めて試したのはDACで、当然僕も携わっていましたし、すでに今から10年以上前に「行動ターゲティング」の本を書き上げていたと思います。もともとインフォシークの広告枠販売でDACを立ち上げた96年当時にも既にこの種のターゲティング技術はありました。

 セレクトキャストという技術(JOIが言うにはイスラエルの技術でモサドも使っておると・・・w。)を使っていましたが、ユーザーをクッキーでID化したうえで、インフォシークの中のどんなカテゴリーのコンテンツを閲覧したかでユーザーをクラスター化するのです。そこでは事前に440のディメンジョン(と呼んでいた)に閲覧コンテンツを分けておいて、ユーザーが閲覧するとそのディメンジョンのベクトルを付与する方式でした。当時はサーバーの容量の問題でデータを蓄積できないので、特定の方向のベクトルという数値に置き換えてデータそのものはその都度捨てる方法でした。
 当時としては画期的でしたが、サンノゼの開発チームはその技術を「すごいだろう!」と威張ってみせるのですが、サンフランシスコの営業チームにその話をすると、広告配信のインベントリー管理が出来ない(つまりフォアキャストが出来ない)と言って、「ありゃ、駄目だ・」と言っとりました。w

 さて、ターゲティング技術はその後も進化しました。キーワード、ビヘイビア、コンテキスト・・・。そして今後はそこにスマホのロケーションデータによるユーザーのリアル行動によるターゲティングも加わるでしょう。
 
 ただ、ちょっと現状を冷静に見ると、どうも細かいターゲティングをすることが目的化している風潮もなくはないのです。細かくターゲティングすることばかりが面白くなってしまい、本来の目的を見失うことがないようにしたいものです。
 効率を求めるのは決して悪いことではないのですが、同時に効果を得られなければ意味がありません。効果とは「効果の絶対量がある」ということです。

 そして、ターゲティングセグメントに関していうと、大概は従来のリーチ対象から従来想定されているターゲットにのみ配信されるようにするという(無駄を省くという)発想がメインで、従来の発想にはなかった新しいターゲティング発想を創造するということはあまり行われていないようです。

 マーケティング施策ですから、効果の絶対量に要ること、いろんなクラスターをいろんな角度から観て、一本の串で串刺しに出来ないか考えてみること、つまりは全く新しいターゲットセグメント手法を開発してみること。

 そして、何よりもターゲットセグメントにはそのセグメントの人が強く反応する文脈があり、そのセグメント用のコミュニケーションが対になってなければならないということです。概してテックアプローチのみで考える人にはセグメントすることばかり考えて、そのセグメントの人にはどういうコミュニケーションをするのかという肝心な発想が抜け落ちています。同じメッセージを念頭にして対象を絞ることばかり考えていると、どんどん矮小化します。「こういうセグメントの人にはこういう文脈で攻めよう、こういうセグメントにはこんなメッセージで・・・」という具合にしていくと膨らんでいきます。逆に言うとユーザーが反応する文脈でセグメントするという考え方を持ち込まないといけないのです。
 

 ターゲティングし過ぎて、対象があまりに少なくなってしまっては、意味がない。そんなターゲティングぐせを治して、従来にないターゲティング手法を開発することこそマーケターの醍醐味です。

 新たな層を発見してターゲットを膨らますターゲティングを是非志向してください。