なぜネット専業のアドマンは「広告人」として育たないのか


 日本のネット広告も20年の歴史を持つこととなった。10年ひと昔として、ふた昔分まですべて辿れる人も少なくなっているかもしれない。また、盛んに「デジタルマーケティング」を声高に標榜していても、マスやリアルのマーケティングどころか、このネット広告の歴史もろくに知らない者も多い。まあ知らなくてもいいんだろうが、たかが20年でも学ぶべきことはたくさんある中身の詰まった20年であることは私が保証する。

 さて、ネット広告の専業代理店という業界が成立して久しいところではあるが、私はどうもその住人たちの「広告人」としてのスキルがほとんど育っていないのを危惧している。今は「広告人」というより「マーケティング支援産業に携わる者」といった方がいい感じだが・・・。そして、歯にきぬ着せず言うと、その責任はCPA至上主義で彼らにそれを握らせるだけの刈り取り系の「広告主」にもある。

 そもそも「広告人」は「広告主」に育てられる。
かくいう私も、「広告主」の方々に育ててもらった。某ビールメーカーさんの宣伝部さんや某化粧品メーカーさんの事業部の方々をはじめたくさんのクライアントさんだ。

 彼らは事業主であり、マーケターであった。ブランディングコミュニケーション資産によって自社の商品やサービスがどう売れるのかについて常に頭を廻らせていて、そのプロセスを熟知しており、また新しいことへチャレンジもさせてくれた。(そういう余裕もあった時代だが・・・。)


 その意味では、社内のアカウンタビリティの容易さに流されて、CPAばかりを代理店に握らせて、1コンバージョン当たりの費用だけで出稿を管理するという安易なことしかしていない「広告主の担当者」は全くもって「マーケター」ではない。クリエイティブを中心としたコミュニケーションと商品開発力を含めたブランドマーケティングによる最適化を志向するのが「マーケター」である。

 そもそも、部分最適である「CPA」至上主義がそのブランドや企業にとって本当に寄与しているかをもっとよく思考せねばならないだろう。たとえその部分だけを上からミッションとされていてもである。またそうした部分最適管理でマーケティング効果を管理できていると勘違いしている「上」はさらに問題である。
 そうした「マーケター」ではない「広告発注管理者」としかインターフェイスしていないネット専業の広告代理店マンが育たないのは自明の理である。なにも専業だけでないだろう。総合代理店であっても担当する広告主が「マーケター」ではないのでは、提供すべきる知見も限られる。「打ち手」が限られた中で、ひたすらCPAを下げるPDCAを繰り返すことは「作業」であって、「知恵」や「知見」の要る世界ではない。
 そして、その代理店も、半ば「売上」を握らされているのに、「打ち手」の幅を広げる提案・努力が足りない。CPAで管理されている広告代理店が売上を伸ばすには、コンバージョンの絶対数を上げなければならない。(本来そう思考するのは事業主側であるべきだが・・・。)そこを、同じ広告表現で出稿する掲載面や配信ターゲットをいじるだけでなんとかなるほど世の中甘くない。4Pのプロダクト、プライス、プレイスと、S・T・Pから全体を見渡さずに売上を上げることなど出来ないし、そもそもマーケティングの時間軸をどうおいて最適化するかという発想すら欠落しているのが残念である。

 対象の商品やサービスを例えば「3年」というタームで見ての投資対効果の最大化なのか、この1ヶ月で最大化するのか、毎月毎月今月の売上を最大化しようとして、3年間が最大化出来るということにはならないということは、マーケティング施策を俯瞰して見れば明らかであるが、事業主のトップは、自分でやっていないとすれば、社内の誰がこうしたマーケティング施策を俯瞰して全体最適を担うのかを明確にしなければならない。

 もちろん代理店側にそうしたコンサル能力があればよいのだが、コンサル力・プランニング力・オペレーション力という3つの要素の内、基本オペレーションを売っている代理店にそもそもコンサル力を期待するのは酷というものだろう。

 コンサル力はクライアントが課題を設定できていないところから指南するからこそ価値がある。クライアントが課題は分かっているが、解決方法が分からないので頼るのがプランニング力だ(最も典型はクリエイティブ)。だが、クライアントが課題も解決方法も分かっているが、自分でやるのが面倒だからアウトソースする作業だけ担ってもそこに高い付加価値は望めない。

 従来からも媒体枠の販売だけという業務はあった。しかし、そこにはある程度確立された広告表現があり、それを前提に広告の到達状況をプランニングするもので、クリックやコンバージョンを保証するものではないし、少なくとも広告表現の制作プロセスにもコミットして仕事が行われていた。ネット専業の代理店マンが一度も撮影に行ったことがないとか聞くと、やはりそれでは「広告人」とは言えないし、何だか可哀想にすら思う。
そういう文化だから、例えば、リアル店舗の購買データを扱ってデータ分析するのにも関わらず、店頭を見に行くという行動様式を持たず、パソコン上の数字が高いのか低いのか分からない。クリック率やCPAは消費者の使用・購買シーンのイメージを想起させるものではない。
 

 「広告」も「マーケティング支援」の一環であり、デジタルによってマーケティングの再定義を必要としている今、パートナーであるエージェンシーの担当者のスキルを上げることで、回り回って広告主側のメリットになるという昔の広告主さんの考え方が今あまりないのが残念だ。
 
 まあ、それもある意味エージェンシー側の甘えかもしれないが、昔より広告マーケティングでの施策の幅は大きく広がったが故に、広告主さん側がやらないといけないことが多すぎて余裕がなくなってしまった。

 広告はエグゼキューションあってのものだけに、作業はなくならない。なくならないが、作業をするだけでは価値が上がらない。
 しかし、オペレーションするからこそのリザルトラーニングが新たなプランになっていくのであって、そこはデジタルだからこその価値づくりがあるのだ。ただそこを価値に繋げるには掲載面や配信ターゲットなどだけではない多くの変数をダイナミックに扱う知見が前提となる。
 
 よく「マーケティングコミュニケーション」というけど、これはまさに読んで字のごとく、マーケティングとコミュニケーションがオーバーラップする部分に我々の仕事があるということだ。「コミュニケーションとは何か」の本質にアプローチできないで「広告」を語ることは出来ない。

 「広告」を仕事にしているという自覚があるなら、自分のスキルを再確認し、将来的にも価値あるキャリア形成になる道を模索して欲しいと思う今日この頃である。

ちなみにある人との対談で「刈り取りという言葉が消費者をバカにしているようで嫌いである。」という発言があった。ベムも全く同感である。