真価を問われるインターネットCM


 ネット広告市場が右肩上がりで成長した背景には、毎年新しい広告手法やフォーマットが登場し、一定以上の市場を形成し、積み重なってきたということがある。
 2005年あたりを元年としたネットでの動画広告=インターネットCMも、その最右翼ではあった。ところが、急成長を期待していた業界の思惑とは裏腹に、一向にスパークしない。低迷状態が続いているといった方がいいだろう。

 その原因を探ってみると、まずインターネットTVの視聴量(総視聴時間)があまり伸びていないことがあげられる。ユーザー数は増えているが、一人当たりの視聴時間は落ちていることになる。ネットでの動画というとYouTubeやニコニコ動画、またブログに貼り付けられ、これら動画サイトの配信によるコンテンツ消費が圧倒的になっているのは云うまでもない。
 ネットの動画にはネット文化のオリジナルコンテンツがあり、今のところこれらが主役になっている。テレビメディア用につくられたコンテンツはやはりネットでは主流にならないのだろうか。その答えはまだ出ていないが、いわゆる短尺もの(とりあえずネットオリジナルの動画をこう呼ぶ。)は映像がチープであっても十分楽しめるもの(かえってチープだからいいのかもしれない。)だ。ネットカルチャー向きのトーン&マナーや尺があるのだろう。
そもそもネットにテレビモデル(番組の間にCMチャンス)という形で露出するより、CMそのものをネットコンテンツとして流通させた方が利口なのではないかとも思う。だからこそネットでしか観ることのできないCMをもっと制作すべきなのだと思う。CMという概念から離れて、ブランドのオリジナルコンテンツとしてネットでの発信力とファンづくりが次世代型のブランディング活動のひとつの考え方だ。
 広告主が、従来のCMフォーマットの観念を脱却して、ブランドオリジナルコンテンツの発信として考えるようになると、その有力な到達手段としてのインターネットCMの活用も進むだろう。
 いずれにしても、テレビと同じ素材を流用する意味はあまりない。全く同じ素材を対象にした調査では、テレビによる接触ではイメージのファクターが、ネットでは理性的な購買ポイントがより高く出るという結果がある。違う見方がされているのだから、同じ素材では意味がないのだ。

 一方で、IPマルチキャスト放送が、放送対象地域制限というネットには似つかわしくないエリア制限を受けつつも、著作隣接権の許諾が原則なしで(補償金は支払う)放送可能となる。
 今回改正放送法が通過する見込みとなり、放送局の持ち株会社解禁で再編が起こることは必至である。
大きな方向として、最後の護送船団たるテレビ局業界に放送事業とコンテンツ制作の分離を迫っていく図式がある。広告会社は、テレビ局の現ビジネスモデルの上に乗っかっているのだから、もちろん他人事ではない。そして放送業界が独占していた番組コンテンツ流通に食指を伸ばしてくるのは基本的に巨大通信会社である。NTTには団塊世代が大量に定年退職することで、とてつもないフリーキャッシュフローが発生する。この金はインフラ事業から上流のレイヤーに向かう。いわゆるメディア、コンテンツプロバイダー、広告事業に向かうのである。おそらく電通の時価総額よりはるかに大きな資金がメディア、広告業界を見据えている。