「ソフトとコンテンツ」


 最近は、「コンテンツ」というワードがどこへ行っても聴かれるようになった。(かく云う私ベムも連呼している。)従来「ソフト」と呼んでいた概念のなかでも、もともと特定の器(メディア)があって、そこに入れる「内容」というニュアンスが強いのが「コンテンツ」という言い方だ。

 番組など制作サイドでは、自分たちの造っているのは「ソフト」であるということをいう人が結構いる。「ソフト」と「コンテンツ」。確かに何故「ソフト」といわずにわざわざ「コンテンツ」というようになったかを考えてみると、メディアが多様化して、いろいろなビークルが出現したが、皆中身に乏しい状況を踏まえて、「コンテンツが足りない」という状況を反映し、普及したワードかと思う。


 また、「ソフト」の反対語が「ハード」だとすると、「コンテンツ」に対峙するワードは「コンテキスト(文脈)」だったりして、意味性の方向軸がちょっと違う。

 そしてこの「コンテンツ」、メディアの中身というだけでなく、ブランドのもつコンテンツという意味にも拡大していくだろう。
 企業Webサイトも大手企業のそれは、大きなメディア価値をもつに至った。こうすると、当然Webサイトの中身=「コンテンツ」にお金をかけるのが、当然だということになる。またメディアの到達力が分散化して、テレビありきで、広告のクリエイティブを行うというより、まず広告コミュニケーションのコンテンツを企画し、これをWebや多様なメディアに載せていくという広告開発プロセスが意識される。ここでも広告はコンテンツしだい。
 クリエイティブじゃなくてコンテンツ。つまり、TVCMといった広告フォーマットをベースにコミュニケーションの表現を考えていくのではなく、縛りを取っ払ったところから考えるから、「クリエイティブじゃなくてコンテンツ」。