理解と和解


 良く言われる話。「欧米では民放モデルのテレビ放送が広告で成立していることを視聴者が理解しているので、広告の内容もセールスに直接的な表現が多い。一方、日本では広告を出す企業があるから無償でコンテンツを享受できているという理解がない。よって広告表現も視聴者にとってのエンタメ的要素が必要である。」つまり欧米は視聴者が理解しているが、日本では視聴者に対して広告を出すことを和解させる必要がある。

 さて、この話をネット広告に敷衍させよう。
ネットのメディアは当然コンテンツやツールをユーザーに無償供給する場合、広告収入で成り立たせている。
 テレビがそうであるように、日本人は無償で得られることを当然だと思っている。広告をウザいと云い、広告を出している企業があるから、タダで享受できているという意識はない。

こうしたなかで、広告を出す側は、できるだけ広告にレスポンスする人に出したいのが人情である。(この広告に対するレスポンスというのはどう捉えるか、ネット広告の場合、これをクリックだとしてしまうと、メディアはとんでもなく自分の価値を下げてしまう。この議論は別途・・・。)
 マーケティング環境は、以前よりインマーケットの顧客を探し出して訴求することを要求している。
 広告主は投下対象を絞りたい。費用対効果を最大化したい。一方でユーザーは、広告を受け入れやすくするには何かしらのメリットが要る。

 まだまだネット広告は進化を必要としている。だから面白い。