検索サイトIの立ち上げ構想が進む中、Yは96年4月に日本サイトがスタートした。A
通信社の同僚でいっしょに大手ビールメーカーのプロモーションに汗を流した友人が、当時SBP社にいて、Yの広告販売に携わっていた。最初は雑誌の広告営業がネット広告を売り始めていた訳だ。しかしまもなく専売レップC社が立ち上がる。広告の巨人D社とSB社の合弁だ。(何かもう伏字の意味がないな・・・)
一方で私はHN社のネット広告についてI氏の熱い構想を聞かされていた。この後私は実際に3社のクライアントさんにHNのネット広告を販売した。HN社のインターネット広告は、無料プロバイダー会員を募り、プロダイバー料金をタダにする代わりに強制的に広告を見せるしくみであった。独自ブラウザの右端に短冊形の広告スペースが出てくる。当然広告はクリッカブルになっていて、広告主サイトに誘導する。
ただ、この広告の投下対象者である無料プロバイダー会員は、すべてが自社プロバイダーではなく、提携プロバイダーに金を払って無料化する訳だが、その原資は広告で獲得するモデルだ。つまり広告を獲るためには、対象者がこんなに多いとアピールしなければならないが、そのためにはプロバイダー料を無料化して会員を募らなければならない。このビジネスモデルには確かにディレンマがあった。
今思うと、彼らがプロバイダー事業をリソースとして自前で持っていて、資金を融資ではなく、直接投資によって行なっていればよかったかもしれない。ただ広告主もしっかりしたサイトを持っている時代ではなかったから、時代は早過ぎた感はぬぐえない。10億近くするようなタンデムのサーバーとか買っちゃうあたりも無茶だった。
それと、Webメディアの中には、ユーザーが自分のサイトを見に来ているのに、その枠の手前で勝手に広告をとって儲けるのは許さないと言って、この無料プロバイダーからのアクセスを拒否すると言っていたところもあった。
そういう訳で、96年暮れに立ち上がった画期的なネット広告HSは約1年で倒産してしまう。後にI氏の著書は有名になったが、本に書かれている失敗の理由は必ずしも的を射ていないと思う。
さて、話を96年6月に戻す。検索サイトYの販売レップが立ち上がり、対抗勢力をIの販売レップとする構想は急速に進む。
第四回に続く
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