「ネット広告 15年史」 第二回


 94年ホットワイアードで、世界で初めてのインターネット広告(バナー広告)が登場してから、まだ丸2年も経たない96年春に、検索サイトIを日本に導入し、広告をとって事業を開始しようと動き出していたから、初動は確かに早かった。
 周りがインターネットの価値を理解してくれるわけもなく、理解しなくても会社が金を出す理由をつくらなければならなかった。

さて、検索エンジンIは、ロボット検索だということ以外にも、画期的な技術を標榜していた。ひとつはアドサーバー。第三者のメディアにも広告を配信できるから、自社サイト内だけでなくアドネットワークができるという。
 競合するサイトに配信すると言っても話にならないから、ポジションを変えれば事業化できるとすぐ頭に浮かんだ。その後レップを創ってからアドネットワーク形成に動き出したのは、このころから構想があったからだ。
 もうひとつの技術は、今まさに旬の行動ターゲティングであった。当時I社が言うには、「サイコグラフィカルなターゲティングが可能だ。」ということ。
技術の概要は、まずクッキーでユーザーのブラウザにIDを振っておく。各ブラウザID別に、あらかじめ設定しておいた440方向のベクトルをつけていく。興味関心の情報カテゴリーを440用意しておく訳だ。
当時のサーバーでは、ネットユーザーのクッキー情報をすべて抱えておくことはできない。ハードディスクの容量を考えれば、クッキーで得られる情報を都度ベクトルに変換して保存する方法しかなかった。サイトにアクセスした際に、クッキーから情報をとってベクトルに変換し、次の機会の訪問時の新しい情報ベクトルをまた付けるということを繰り返す。このブラウザごとに付けた興味関心向のベクトルをもとに、ユーザーをカテゴリー分けする。

この技術のことを彼らは「セレクトキャスト」と呼んでいた。イスラエルで開発された技術で、何とあのモサドも採用したんだと言う。今となっては本当かどうか全く分からないが、とにかくアメリカの連中は自らの技術を誇大に表現するから、話半分に聞かないといけない。

このターゲティング技術は、それなりに出来上がってはいたが、実際広告メニューとして売ろうとすると、うまくはいかなかった。当時ほとんどのネット広告は期間とPVを保証するスタイルだったが、特定のカテゴリーに関して興味をもっているユーザー群(ブラウザのデータベース)が、近い将来の特定期間にどの程度サイトを訪問してくれるかのフォアキャストができない。現在のリスティングのように出来高払いの契約形態がなく、なかなか成立しなかった。
この件に関わらず、当時I社が標榜していたことは今のG社とほとんど変わらなかった。検索という「コンテンツではなくコンテキストを価値に変える」というのは、I・J君がいつも言っていた話だ。
ただ、いくら技術があってもその技術が最大の効果を発揮する環境がないと意味がない。日本に導入したばかりの検索サイトIの検索結果が競合Yのディレクトリーばかりだったのはその象徴でもあった。

第三回に続く