「批判する理屈」


 テレビでも一部のコメンテーターは、異常さに気がついて発言しているようだが(鳥越さんや、江川さんも)、日本のマスメディアの小沢一郎嫌いは限度がないようだ。私は別に小沢一郎氏の支持者ではないが、どう考えても、原理原則を無視した「好き嫌い」をベースにした「理屈」にならない「理屈」で批判(というか攻撃)を展開し、「市民感覚」という感情的な、成熟した見識とはほど遠い稚拙な感覚で、ひとりの政治家の政治生命を絶とうとしている。
 立件できなくても、検察が捜査することでイメージを植えつけ、次に検察審査会でまた起訴まで持ち込む。誰かのシナリオなのだろう。確かに小沢さんには敵が多すぎるようだ。
 
誤解を恐れずに言うと、金にきれいで無能な政治家と、少し怪しくても国益と国民の生命財産を危険にさらすことのない政治家のどちかを選択するかということだ。
「清濁併せ呑む」ことをしないと、一番不利益を被るのは国民である。マスメディアは商売のネタとして見ているのであって、俯瞰して国民の利益を考えることはできないのだ。それを理解しないといけない。
 日本人のおおよそ6割くらいは、自分で考えることのできない、メディアの論調に流される人たちである。それでも少なくなった方だ。ずいぶんマスメディアの言うことを鵜呑みにしない見識の持ち主は増えた。こうした人たちは、まずマスメディアの批判する理屈に疑念を持ち始めたからこそ、鵜呑みにしないのだ。無茶苦茶な理由で、メディアが批判というより攻撃することに、眉を顰めている国民は多い。今や日本人の民度は非常に高いレベルにある。マスメディアの言うことで世論がすべて動くということは、もはやない。それをしっかり理解して、しっかりした見識をもった批評(評価と批判)を展開しないと、視聴者も読者もいっきに離れるだろう。
 見識で上をいくミドルメディアがネット上にもう存在しているのを忘れてはいけない。