日本のネット広告を全くの黎明期からつくってきたつもりなので、Webマーケティングやデジタルメディアに関して、情報をキャッチアップしたり、実践して自らの知見としてきたが、所詮自分たちだけで出来ることなど知れたもので、若い人たちが次々にこの世界にも登場し、新しいビジネスにトライしていくなかでの情報や知見をキャッチアップするのに精一杯の毎日だ。
日々これ勉強と、こうした情報もメディアから集め、度々そうしたご本人たちと会話して、得られるものは吸収してきたつもりだ。
しかし、ここに来て、また一気にツイッターやフェイスブックで、そもそも知見をもつ人たちのネットワークに入ったことで、フィルターの掛かった、私が関心のある領域にフォーカスの当たった情報や見識をどんどん取得出来ていると感じる。
それはこれまでのビジネスでお付き合いしていただいた方々の知見を共有させてもらっているのだ。とても有難いことで、様々なことを教えていただいた方々と、常にネットワークで繋がっていることの価値を本当に実感する。
さて、それを考えると、こうした情報や見識をやりとりすることをしていない人たちも多くいて、しかもそれが重要な経営判断をしなければならない人たちだったりする。当然議論をし、現状の認識を共有し、経営判断を促すための情報や考え方を提示したりすることになるのだが、知見量(こんな言葉があるわけではないが、知識量、見識量といった意味であえて使わせてもらうと)にどんどん差がでてきてしまって、議論にならない可能性がある。
ただでさえ、専門領域での人脈があって、それがソーシャルメディアで常に繋がり、知見の交換、共有をしている人は、どんどん情報を処理し、認識を深め、それを実践に応用し、より知見を深めるサイクルに入っていく。
一方そうでなく、今までの古い人脈とマスメディアからの情報を頼りにしているだけだと、その差は著しく開いていく。
ネットの世界は、ひとつ自分の持っている情報をネット空間に投げると、多くの人の情報を享受できる仕組みである。ただ、あまり人の顔が見えない時代(あえてインターネット時代と呼ぼう)は、取得することばかりにかまけて、価値を与えることをしてこなかった。しかし、ソーシャルネット時代は、人と人の顔が見えるので、ある意味、自己実現のために価値を与えることがなされる。結果、繋がっている人たちの間で素晴らしい価値の共有が起こる。
ここでベースになっているのは、「リスペクト」という姿勢だ。考え方が違っていても、自分にない見識をもった人の考えに対して、それを取得でき、「なるほど」と評価できる時、すごく得たものが大きいと感じる。そうした価値を提供してくれた人への「尊敬」と「感謝」の気持ちが、このサイクルを自然と大きくしていくのだと思う。
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