広告ビジネスとしてのコンテンツ開発



マスマーケティング企業のブランドコミュニケーションがコアコンシューマの再編、ブランド支持者の醸成に、ネットを活用することの重要性が増している。
 しかしこの作業には、ブランドのオリジナルコンテンツが必要になる。このコンテンツ開発に関して、その担い手になり得る存在を考えると、従来のメディア別に縦割りになっているコンテンツ開発者たちを再編する必要が出てくる。例えば、雑誌の編集者という存在は、特定のサイコグラフィカルなプロフィールをもったターゲットの琴線に触れるコンテンツを開発するプロ中のプロだ。しかし、雑誌というメディアは、これを最も上手に売ってくれていた駅前の小さめの書店がどんどん減っていき、販売チャネルを失ってしまっている。(コンビニにはこうした雑誌を積極的に販売していこうという意志はない。そもそも店の外から良く見えるガラス張りの内側にアダルトものを含んだ雑誌を置いてあるのは、夜間若い男性客に立ち読みしてもらってコンビニ強盗を抑止するためだ。)つくったコンテンツを消費者に売る手段がなくなってきている。雑誌と同じコンテンツをネットに公開したとしても読者から同じ対価を得ることはほぼ不可能だ。かと云ってページビューを稼いで広告スペースを売ろうとしても、ツールとしてのアクセスもコンテンツ閲読のページもいっしょくたにされているネット広告の「PVの量の論理」では、たかが知れている。そうなるとコンテンツは消費者より広告主に売る時代になるだろう。ブランドオリジナルコンテンツへの要請は、メディアごとのコンテンツ開発を再編する方向に力学が働くはずである。別に雑誌編集者が動画を作ってもいいし、ゲームをプロデュースしてもいいのだ。特定のプロフィールを対象とするコンテンツプロデュースの担い手が、記事も番組も映画もゲームもつくる「特定ターゲット、マルチメディアコンテンツ」に向かうことが必要だ。この時、マルチメディアコンテンツ流通ルートがネットであることは間違いない。死語になっていた「マルチメディア」は、ネットによるコンテンツ開発の再編統合において言葉として蘇生する可能性がある。