「鳥肌が立つ」ような話


 最近、テレビを観ていても、よく聴くフレーズで「感動して鳥肌が立った・・・」というように使っている「鳥肌が立つ」。日本語も使い方が変遷する例は、枚挙にいとまがないものの、このフレーズは急激にいい意味に取り違われている。おそらく10年前には、本来の「恐怖で鳥肌が立つ思いがした。」とか「気持ち悪くて鳥肌が立った。」とかにしか使わなかったと思う。それがここに来て、「感動で鳥肌が立つ。」というような感動して興奮した状況を表す言葉になった。

 感動ということでは、どうやら日本人はこぞって涙腺がゆるくなったように思う。ちょっとした感動的な映画やテレビ番組や本が、評判を呼ぶようになった。泣かせる話が人気を集め、また泣かせるテーマでマーケティングされたエンターテイメント作品が創られている。

 スポーツもまた、リアルな感動を演出するコンテンツとして取り上げられる。実際スポーツというノンフィクションが「筋書きのないドラマ」としてメディアを通して感動を与えるということは昔からあったはずなのだが、最近はスポーツを意識的により感動的な、つまり涙腺を刺激する(云ってみれば鳥肌が立つような感動)を材料として提供している。また観ている方が「感動をありがとう」などという。

 「鳥肌が立つ」という言葉が本来の意味から外れ、感動している状況を表す良い意味で使われ始めたのは、こうした社会背景があるかもしれない。